私の日常が強迫観念という名の怪物に支配され始めたのは、数年前の春のことでした。最初は、外出時にガスコンロの火を消したかどうかが少し気になる程度だったのですが、その不安は日を追うごとに増殖していきました。玄関を出てから数分歩いたところで「もしかしたら」という考えが頭をよぎり、家に戻って確認する。一度戻るだけで済んでいたのが、二度、三度と増え、ついには鍵をかけた際の指差し確認を動画で撮影し、それを通勤中の電車で何度も見返さなければ動悸が収まらないほど悪化しました。周囲からは「心配性だね」と笑われましたが、私にとっては地獄のような毎日でした。頭の中では「さっき確認したから大丈夫だ」と叫ぶ自分がいるのに、もう一人の自分が「もし火事になったらどうする、人生が台無しになるぞ」と脅してくるのです。私は常に最悪のシナリオを想像し、その可能性をゼロにするために、さらに過剰な確認作業を繰り返すという袋小路に迷い込んでいました。寝る前も家の窓や扉を何度も確認して回り、睡眠時間は削られ、仕事中の集中力も散漫になりました。自分が異常であることは自覚していましたが、精神科という場所に行くことには強い抵抗がありました。「頭がおかしくなったと思われたくない」「意志の力で治せるはずだ」というプライドが邪魔をしていたのです。しかし、ある朝、確認作業のせいで一時間も家から出られず、玄関先で泣き崩れてしまったとき、ようやく悟りました。これは自分の意志の力の問題ではない、何かが根本的に壊れてしまったのだ、と。私は震える手でスマートフォンの画面を操作し、近所の心療内科の予約を入れました。受診の日、先生にこれまでの苦しみを包み隠さず話すと、先生は穏やかな顔で「それは本当に辛かったですね、でもそれはあなたの性格のせいではなく、強迫性障害という病気なんですよ」と言ってくれました。その言葉を聞いた瞬間、自分を縛り付けていた透明な鎖が少しだけ緩んだような気がしました。病院へ行くべきか迷っていた数ヶ月間、私はずっと孤独な戦いを続けていましたが、プロの助けを借りることで、ようやく出口への地図を手にすることができました。今でも確認の衝動に襲われることはありますが、治療を通じて学んだ対処法のおかげで、以前のようなパニックに陥ることはありません。もし過去の私と同じように、終わらない儀式に疲弊している人がいるなら、どうか自分の限界を過信しないでほしいと思います。病院の扉を開けるという一歩は、自分自身を自由にするための最高に勇敢な決断なのです。